不屈の棋士ーAIにない魅力
不屈の棋士(紹介:妹尾昌俊)
ちょうど昨日、今日は竜王戦の第一戦。この直前に大変なことが起こった。
挑戦者だった三浦九段が対局中にスマホの将棋ソフトでカンニングした疑惑が発生。出場停止処分となり、大会直前に挑戦者が変わるという前代未聞の事態となった。現時点でことの真偽は明らかではない(報道や将棋連盟の説明を見る限り白黒はっきりせず、”疑わしきは罰せず”とはならなのか、疑問も残る)。だが、ひとつだけ確かなことがある。
将棋ソフトの進化が凄まじいということだ。
11人の棋士たちの肉声
そんな渦中に、ある意味ふさわしいのが本書。この新書は観戦記者の著者が、将棋界を代表する2大巨頭、羽生善治と渡辺明(羽生さんはみんな知っている、渡辺さんは羽生さんに勝ち越している超強い人、現竜王)、コンピュータ将棋に精通し自身の勉強にも活用する千田翔太、プロ棋士間の熾烈なトーナメントを勝ち抜き初代叡王となりながらも、最強ソフト・ポナンザに敗れた山崎隆之ら11人へロングインタビューした記録だ。
羽生さんのコンピュータとの付き合い方
チェスの世界では1997年にIBMのディープ・ブルーが世界チャンピオンに勝利した。将棋もチェスと発祥は同じとされているが、取った駒を自分の駒として使えるという日本独自のルールのために、複雑さが増した。しかし、近年、コンピュータがプロ棋士を破る試合も次々おこっており、ソフトはもう棋士より強い、という人も少なくない。
本書は
- コンピュータソフトの台頭をどう考えるか
- ガチで勝負したら勝てると思うか
- コンピュータを将棋の勉強に使っているか、使っているならどのような用途か
- プロ棋士の存在意義は将来なくなってしまうのか
といった質問をほぼ11人共通にした貴重な記録である。
たとえば、羽生さんは、終盤の詰みがないことを証明するためにソフトを使っているのだという(人間の力では詰みがあることの証明はやりやすいが、ないことの証明はかなりむずかしいので)。ソフトを使った勉強はかなりの割合を占めているかという質問に対しては・・・
いや、占めていません。使うこともありますけど、基本的に自分の頭で考えることが大事だと思っています。ただお医者さんにセカンドオピニオンを求めるような感覚で、この局面に対して自分はこう思うけど、違う可能性がないのかどうか気になる時には使うこともありますね。
と回答。セカンドオピニオンというたとえは、すごく面白かった。プロ棋士は対局後の感想戦や研究会などで互いに教え合うときもあるとはいえ、基本はライバル同士の関係。孤独な勝負の世界だ。羽生さんにとって、コンピュータは同業者とは違った、付き合いやすい相手、あるいはツールということだろうか?
本書から少し離れるが、脳の研究者の池谷裕二さんはこう書いている。
AIと人類は対決すべき関係でしょうか。たとえば計算力。人はすでに安価な量産型電卓にさえ勝てませんが、悔しいでしょうか。いや、電卓を相手に競争しようなどとは考えてさえいません。
『暮らしの手帖』84(2016年10-11月号)
AI(人工知能)VS人間という構図でわたしたちは捉えがちだし、実際仕事が奪われる可能性もあるが、AIは人間の力強い味方になる可能性もある。ただし、将棋は純粋な勝負の世界だから、そうそう甘いことばかりでもあるまいが。
自分の頭で考えること、ミスをすること
本書で登場する棋士たちの証言でほぼ共通していたのは、羽生さんの引用した箇所にもある、自分で考えることの重要性だ。ソフトを勉強で活用できる余地はあるが、対局中は自分でやり抜かないといけない。ソフトに頼って自分の頭で考えるのが面倒になる危険性には注意しないといけない、という話は本書で多くの人が指摘していた。
また、同じく多くの棋士が共通で語るのは、コンピュータ将棋と人間の指す将棋は別種類のものである、コンピュータ対棋士は異種格闘技である、という点だ。羽生さんのインタビューから拾う。
ソフトの将棋は基本的にかなり異質なものです。人が指す将棋というのは形と手順の一貫性を重んじますが、ソフトはその二つはまったく気にしていない。また、そのすごく深く読める。・・・(中略)・・・根本的に思考が違うので、指し手も人間とは大きく変わってくる。
この点に密接に関連するが、コンピュータは終盤にものすごく強いのだという。これも本書で多くの棋士が証言している。というのは、コンピュータのほうが何万パターンもシミュレーションして詰めに近い手を導くのが得意だから。対して人間は、羽生さんや渡辺さんのような超一流であってもミス(ポカ)をすることがある。人間には疲れも影響するが、そもそもどこかでミスをするものと理解したほうがよいだろう。
AIにない人間らしい魅力
少しまとめよう。
- プロ棋士は自分の頭で考えることがものすごく求められる
- 人間はコンピュータと異なり、形や一貫性を重んじる癖がある
- 人間にはミスがつきもの
実は、これらは人間の将棋指しの弱さ、限界でもあり、やっている側にとっても、見ている側にとっても将棋の面白さ、醍醐味ではないだろうか?
渡辺さんはインタビューでこう話している。人間にしか指せない将棋というのはあるか、という質問にたいして。
人間にしか指せない将棋とかそういうことではなく、人間同士やるからゲームとして楽しめるんです。たとえばマルバツゲームがそうでしょう。あれをコンピュータとやる人はいない(笑)。もしくは大人同士でもやらない。子供とやるから楽しいんでしょう。・・・(中略)・・・「人にしか指せない将棋」というのはカッコつけた言い方で、人同士がやってもよくわからないから、いまの将棋界の繁栄がある。
この 「人同士がやってもよくわからないから」というのが、まさに将棋の面白さだ。超一流の天才たちが考えあぐね、一貫性をもって駒を進め、でも時にはミスや見落としもあって形勢が逆転したりもする。仮にAIが一流棋士を完全に凌駕したとしても、こうした人の試行錯誤が人間同士の戦いの魅力として残るのではないだろうか?
たとえば、だれも打てないような剛速球を投げる機械を球場においても、いまほどの野球人気にはならないはずだ。同様に、オリンピックであれほど感動したのも。人の限界への挑戦やこの先どうなるかわからないから、面白いのだ。
将棋の世界でいえば、スーパーコンピュータとガチで戦えるくらい人間はすごい、というほうが感動的とも思える。
学校教育へのヒント
純粋に将棋を見る面白さをとらえなおす意味で、本書は読めばよいのかもしれないが、このサイトでは学校教育へのヒントを書くようにしているので、本書からは飛躍するが、もう少しだけお話したい。
それは、ミスや混沌としたところをもっと楽しむということだ。
将棋というと、詰みを探すといった正解がある世界ではAIのほうが超一流棋士よりも強い可能性がある。なるべく早く、たくさんの正解を出そうという教育のほうが受験対策には向いているかもしれないが、それだと、どうも勉強する面白みに欠けるのではないか?この点はこれまで述べた将棋の世界にも似ているように見える。
偉大な数学者や科学者がなぜ偉大かといえば、だれも解けなかったような問いに何年も試行錯誤して挑戦してきたからだ。まあ、みんながみんな偉大な科学者を目指す必要はないのだろうけれど、ほかのいろいろな仕事でも、試行錯誤することは重要となっている気がする。
学校の現状はどうか。ちゃんと教科書を最後まで終える、受験に間に合わせるということは多くの学校でできることだろう。しかし、混沌としたところで考える、挑戦するということを学校では伸ばせているのだろうか?
AIや機械のほうが得意なことはすでに増えてきている。定型的な業務は代替される可能性が高いし、そうではない業務も、最近では作曲や小説の執筆までAIでできるのだという。
人間らしい仕事はなになのか?これを問うているのは、棋士だけではない。
今の小学生、中学生らが社会人になるころには想像もつかない世界になっている可能性もある。学校教育で伸ばしておくべきは、正解に早くたどり着く力なのだろうか?それとも、むずかしいことに挑戦したり、試行錯誤したりすることのほうではないだろうか?詰将棋ばかりしても、たぶん楽しくない。
もっとも、学校ではたくさんの子を相手にして、様々なことを限られた時間で教えないといけない。一人ひとりのひとつや二つのことに粘り強く付き合う余裕は正直ない、と思ったほうが現実的だ(実際、たとえば、一流のピアニストや画家は学校教育のおかげで生まれるのではない)。
とすれば、子どもたちのどこかの好奇心や挑戦する気持ちに点火することに学校の役割はある、と考えてはどうだろうか?
そんなすごく脱線した思考をしながら、竜王戦や不屈の棋士たちの戦いを見るのも面白いだろう。
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妹尾 昌俊(せのお まさとし)
学校マネジメントコンサルタント、Books for Teachersの世話役、4人の子育てに修行中。野村総合研究所を経て、フリーに。教職員向け講演・研修などを行っている。
著書『変わる学校、変わらない学校-学校マネジメントの成功と失敗の分かれ道』では、活性化している学校とそうではない学校との違いを分析、今後の学校づくりの方向性を提言。
文科省の有識者会議やフォーラム、教員研修センターのマネジメント研修などでも講師を務める。
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