Books for Teachers

学校教育をよりよくしたいと思う方、そして現場でがんばる先生たちにおススメの本を紹介します。

「かくれたカリキュラム」発見・改善ガイド

管理職・主任のための「かくれたカリキュラム」発見・改善ガイド (紹介:妹尾昌俊)

その判断、学校をダメにします! 管理職・主任のための「かくれたカリキュラム」発見・改善ガイド

その判断、学校をダメにします! 管理職・主任のための「かくれたカリキュラム」発見・改善ガイド

 

本書は、北海道の小学校の先生、校長を歴任され、今は大学で教鞭をとっておられる横藤雅人さんによる、ヒドゥンカリキュラム(隠れたカリキュラム、潜在的カリキュラム)について、具体的に気づかせてくれる本。管理職・主任向けというタイトルではあるが、一般教諭や事務職員の方が読んでも、大いに参考になること間違いなし。隠れたカリキュラムについて知らない方にこそ、読んでほしい。

どこにでもある風景から、意図せざる問題をあぶりだす

本書の多くのページは、実際に横藤先生が体験したり、聞いたりした具体的なエピソード、問題事例をもとに、何が問題なのか考えさせたうえで、解説するスタイルとなっている。つまり、ケースメソッドをもちいた本であり、他書と比べ非常に具体的で、実践知にあふれている。

たとえば、最初に登場するエピソードは散らかり放題な理科準備室。転勤してきたA先生が「なかなかすごいですね・・・」と言うと、案内役のB先生が

「そうなんだよ。もう何年も前のものがあって、手が付けられないのさ。生徒もちゃんと片づけられないしね。」と笑いました。
B先生はA先生に何を教えたのでしょう?

と来る。

こんな光景はひょっとしたら、日本全国いろんなところであるかもしれない。何か問題だろうか?ちょっとくらいいいんじゃないか?と思う方もいることだろう。しかしだ。小さなことが放っておくと、事態を悪化させることにもなる。

  •  手が付けられない 
    → 誰のものか分からないものには、手や口を出すべきではない。
  • 生徒も片づけられない
    → この学校の生徒はだらしないが、放置しておいていい。

 本書によると、こういうメッセージを伝えることになるのだ、という。この例のように、本人は必ずしも意図しなくても、結果として教育される側が身につけるもの、これが「ヒドゥンカリキュラム(隠れたカリキュラム、潜在的カリキュラム)」というわけだ。

”漢字練習、とくかくがんばらせましょう”の何が問題か?

別の例も興味深い。漢字練習の宿題をやってこれない児童について相談すると、同僚の先生が「とにかくがんばらせましょう」と。

これは何が問題だろうか?ちょっと皆さんも考えてみてほしい。

「「ドゥー・ユー・アンダスタン?」を連呼する英語教師「ドゥー・ユー・アンダスタン?」を連呼する英語教師」[モデル:Max_Ezaki 河村友歌]のフリー写真素材

これは、漢字ができないのは、すべて子どものせいだと考えていることの表れかもしれない。その子はひょっとすると、発達上のなにか事情があって漢字の認識が困難なのかもしれない。あるいは短期記憶が弱いのかもしれない。いじめや虐待にあっていて、精神的に不安定なのかもしれない。なにかその先生の指導方法にまずさがあるかもしれない。そうした仮説も考えてみたうえで、改善案を考えるべきだと解説している。なるほど!

このように、本書では、教師本人や学校があまり問題とは思わないことについて、実はそれで本当にいいんですか?と突き付けてくる。この手のことは人から指摘されないと気づきにくいので、ほんとありがたい本だと思う。

また、これまで紹介した事例は本書のほんの一部だが、これらからも、本書が管理職・主任だけでなく、多くの教職員や学校という文化を理解したい人にとっても参考となることがわかってくれると思う。

もっともやっかいなのは善意でやっていること

隠れたカリキュラムと呼んでも、呼ばなくても、そもそも教育という行為は何か強制するところや強要する側面はつきものだ。やっかいなのは、本人や学校が意図しないうちに、つまり知らず知らずのうちに、子どもや保護者、あるいは同僚に押し付けてしまうことだ。批判的な力が育っている人(子どもだけでなく大人もそうありたい)ならよいが、そうでない人には大きな影響を与えてしまう。

もっともやっかいなのは、本人が善意、つまり、よかれと思ってやっていることだ。よかれと思っているので、なかなか軌道修正がきかない。関連する話は、石川晋さんの『学校でしなやかに生きるということ』という本のなかにもあった。こちらもおススメだ。

学校でしなやかに生きるということ

学校でしなやかに生きるということ

 

 

とはいえ、気にしすぎている気もする

本書『「かくれたカリキュラム」発見・改善ガイド』に少し注文を付けるとすれば、2点。

ひとつは、隠れたカリキュラムという概念で、なにからなんでも入ってしまいがちになることだ。つまり、広すぎる。企業の世界でいうと、暗黙知や前提としている仮定(アサーション)と言い換えられるシーンもけっこうありそうだし、シンプルに、「意図せざる効果」と言い換えられるシーンもありそうだ。隠れたカリキュラムということで、「なんか難しそうだな」と距離を置く教職員も残念ながらいるかもしれない。まあ、この効果もひとつの隠れたカリキュラムなのかもしれないが。

もうひとつは、本当にそこまで気にかける必要があるのか、ちょっと心配になることだ。たとえば、本書のエピソードに、体育館に移動するとき、整列して移動するA学級と、三々五々自由に移動しているB学級がある。B学級では、のちのち机や椅子も乱雑になっていき、けんかなども起きやすい学級になる危険性もある、と解説している。

ほんまでっか?

本書の魅力のひとつは横藤先生の実践知が多くあって、大変具体的であると書いた。しかし、これは本書の弱点でもある。横藤先生の見聞きした経験ではB学級のような場合はそうなったのかもしれない。しかし、なにも検証はないし、読者としては体育館への移動の仕方だけで、そこまでそうかな、と思ってしまう。整列しようがしまいが、時間通りに集合できればよいではないか、と思うのだが。

これはささいなことかもしれない。しかし、いまは教職員は大変多忙な時代であり、気に過ぎるために、多忙化や精神的な負担になっているところもあるのだから、少し軽めにするところや気を抜いてよいところも増やしたほうがよい。

また、校長はとくに気を付けてほしいのだが、本人の経験でよかったことや成功体験、あるいは失敗体験にひきずられて、教職員に指導しても、それが本当にこの時代、この学校、この子どもたちに通用するかどうかは分からないということだ。

経営学者の大家のミンツバーグは、「マネジメントの成功は、アートとクラフトとサイエンスがそろったときに生まれる」と述べている(『MBAが会社を滅ぼす~マネージャーの正しい育て方』)。クラフトとは経験を指すが、クラフトに偏ったマネジメントスタイルが学校では多い気がする。
※アートはビジョンや直観、サイエンスは理論や分析を指す。もともとはMBA教育がサイエンス偏重であることを警告した一節。

本書のなかで、そう気になるところが多いわけではない。しかし、若干、先生の経験に寄り過ぎていて、もう少し検証やいろんな知見から議論したほうがよいと思う箇所はいくつかあった。

 

以上、やや気になったところも申し上げたが、本書は、意図せざることに気づかせてくれ、日々の教育活動や学校運営の改善にとてもヒントになる。最後に次の一節を引用したい。

「かくれたカリキュラム」を改善するという行為はかなりの「自己否定」を伴うものである。ともすれば「美辞麗句」「予定調和」が支配しがちな学校文化において、ある意味異質な行為とすら言えるかもしれない。(p.146)

「予定調和」が支配的な職場では、改善やよりより教育活動は進まない。その意味でも本書を読む意味は大きいと思う。

 

※ちょっと宣伝で、読書会をこんど東京でやります。

senoom.hateblo.jp

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妹尾 昌俊(せのお まさとし)

教育研究家、学校マネジメントコンサルタント、Books for Teachersの世話役。4人の子育てに修行中。野村総合研究所を経て、フリーに。教職員向け講演・研修などを行っている。

著書『変わる学校、変わらない学校-学校マネジメントの成功と失敗の分かれ道』では、活性化している学校とそうではない学校との違いを分析、今後の学校づくりの方向性を提言。

文科省の有識者会議やフォーラム、教員研修センターのマネジメント研修などでも講師を務める。

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