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学校教育をよりよくしたいと思う方、そして現場でがんばる先生たちにおススメの本を紹介します。

真田信繁―幸村と呼ばれた男の真実

真田信繁―幸村と呼ばれた男の真実 (紹介:妹尾昌俊)

真田信繁 幸村と呼ばれた男の真実 (角川選書)

真田信繁 幸村と呼ばれた男の真実 (角川選書)

 

今年の大河ドラマ、真田丸はとてもおもしろい。いよいよあと2回です。
真田丸を観ている人も、観ていない人も、戦国武将好きなら、ぜひ手に取ってほしい一冊があります。それが今回紹介する本です。

 著者の平山優さんは県立高校の先生。教師をしながら、多くの著作を出し、今回の大河ドラマの時代考証もするとは、すばらしいですね。(いつか仕事術、時間術の取材をしたい!)

今日はいつもとちがって、教育政策のことなどとは無関係ですが、歴史上の人物の顔を垣間見れる本書を紹介します。

有名人だが、謎に満ちた男

真田信繁(幸村)は、戦国武将の中でももっとも人気な一人。

戦国無双などのゲームでもべらぼうに強い(信長の野望では、父の昌幸と一緒に寡兵で強敵に挑むのが楽しい)。ですが、非常に史料が少ないので、どうも実像がはっきりしません。

実際、本書によると、信繁のものと思われる文書(手紙など)で残っているものは20通しかありません(うち偽物かもという書もある)。

謎の多い、真田信繁。たとえば、次の疑問がうかびます。

  • そもそも名前は信繁?幸村?
  • 関ヶ原のときに徳川軍を苦しめた(秀忠率いる徳川本体を食い止めた)のは有名だけど、その前はどんな半生だったの?
  • 大坂の陣でなぜ強かったの?信繁って、そんなに実戦経験あったっけ?
  • 信繁の子どもたちは大坂の陣の後、どうなったの?

本書では、こうした疑問について、ひとつひとつ丁寧に解説してくれています。

たとえば、一つ目の質問については、大河ドラマでは和歌山の九度山を脱走する前後で幸村と名前を変えたというストーリーでした。史実ははっきりわからず、ほぼ確実なことは、彼は生涯を通して信繁という名は使っていたこと。幸村名の書状もわずかに残っていますが、後世のものの可能性もあり、真偽がはっきりしないそうです。だからドラマでは信繁という名前は使わないと史実に反しますが、幸村と名乗るかどうかは、(史実が明確ではないので)脚本家や監督の自由というわけです。

(まったくの蛇足ですが、同じ理屈が信長の正室(濃姫、帰蝶)にも言えて、彼女はいつどこで死んだのか、はっきりわかっていません。なので、ドラマでは、本能寺で死んだことにしても、その後も生きたこともしても今のところは自由です。)

 

今回の大河ドラマは時代考証に相当力が入っていて、ひと昔の前の通説的な見解で描くのではなく、最新の研究動向を踏まえた有力説を多く採り入れています。たとえば、大坂城の堀をすべて埋めてしまうのは、家康のだまし(策略)だったのではなく、双方の合意のことだったという説など。そんなところも、本書をガイドにしながら、楽しむことができます。

(写真は大坂の陣の舞台、天王寺の茶臼山近く。先日訪問しました。)

歴史を楽しむ3種類の本

ところで、信繁に限りませんが、歴史上の人物について述べた本には、大きく3種類あります。ひとつは、司馬遼太郎を代表とする小説。フィクションなエピソードが多いけれど、一番臨場感がありますよね。
2つ目は、フィクションを含めて、面白そうな話を集めて、この人すごかったんだぜ~、今のビジネスにもヒントになるぜ~的な本。これはたまに経済誌などでどこかの社長が好きとか言っている本に多いです。小説ではありませんが、かなり史料的にあやしい話も多いので、注意が必要です。

3つ目は、歴史学的に史料や一部推論も含めて解説した本。こちらは、ともすれば、古文書がたくさん出て学者じゃないと正直読むのはしんどいという本もありますが、一般向けの丁寧な本も最近は増えました(いい時代だ)。

面白い話が載っていることもありますが、これは後世の史料にしか出てこないので事実だったかどうかは疑問であるなど、注意点をちゃんと指摘してくれます。

この3つ目のタイプとしての信繁の解説本としては、本書は決定版的なものでしょう。平山先生はとてもものすごい量の史料や現場を調査されていて、丁寧に解説してくれますし、かといって、史料にはない話を無視することなく、これはあやしいけど、こういう理由でありえない話とは言えないのでは、といった指摘出しもあります。そのあたりが本書の魅力のひとつだと思います。

同じ著者の『検証 長篠合戦』、『長篠合戦と武田勝頼』も面白かった。リンクを貼っておきます(2冊も読むひまがない方は検証のほうだけでもよいかも)。

検証 長篠合戦 (歴史文化ライブラリー)

検証 長篠合戦 (歴史文化ライブラリー)

 
長篠合戦と武田勝頼 (敗者の日本史)

長篠合戦と武田勝頼 (敗者の日本史)

 

 

幸村と呼ばれた男の真実とは?

さて、肝心の中身です。特に次の個所が印象的でした。

  • 関ヶ原の合戦直前、兄の信幸と昌幸・信繁が袂を分かつ「犬伏の別れ」。これは後世の軍記物にしか記述がなく、史実かどうかは分かっていない。p115

  • 第二次上田合戦で、秀忠軍をくぎ付けにした真田父子。史料を検討すると、秀忠軍は、家康から真田家打倒の命で出陣していた(=関ヶ原に向かうためにはなかった)。
    ですが、尾張・美濃周辺では、思いの外、東軍の武将たちががんばっちゃった(岐阜城を早々に落とすなど)ので、家康は、うっかりしていると徳川軍は貢献してないじゃないか、となるのを恐れ、途中から秀忠へ命令を変更、わしに合流せよと。
    そのために、秀忠軍は上田城から撤退することになったという流れ。家康の変更がなく、そのまま長期戦になっていたら、真田家は危なかったかもね。p137など

  • 前述のとおり、信繁の手紙が残っているのは珍しいのですが、実は、大坂冬の陣の後、つまり大坂の夏の陣で信繁が死ぬ直前に、親族へ宛てたものなど、数通が残っています。
    「明日になればどうなるかわからぬ身ですが、今のところは何事もありません。」、「籠城したからには決死の覚悟であり、もはやこの世で会ってお話することもないと思う。しかし、すへ(=娘のこと)のことは、お見捨てなきようお願い申し上げる」など、戦国武将信繁の死生観や家族への思いが伝わる、涙なしでは読めない個所です。ぜひここだけでも読んでほしいと思います。(p280-286)
  • この手紙は、昨日の大河ドラマでもかなり近いかたちで再現されていました(ただし、ドラマのように兄の信之宛というわけではなかったようですが。残っていないだけで、兄宛てのものもあった可能性はあります)。

なぜ信繁は強かったのか?

  • 大坂の陣でなぜ信繁は強かったのか?そのひとつの仮説は、東軍が弱かったから、という話が本書では紹介されています。ここは逆転の発想で、なぜ強かったのかを答えるのではなく、なぜ相手が弱かったのかを考えるというもの。
  • なんせ、関ヶ原の戦いから、15年大きな戦はなかったわけで、多くの世代交代がなされており、初陣かそれに近い武将が多かった(特に東軍では)。史料をみると、統率がとれていなかった話(押太鼓の打ち方や周知すらできていなかった)や、たいした損害がないのに陣が崩れ、逃亡する兵が多発する(=味方崩と言うらいしい)話が多く確認できます。
  • 一方、信繁は史料的に確定はできないが、かなり早い時期から父昌幸と戦場に出ていた模様とのこと。敵の隙、弱点を見逃さず、家康をあわやというところまで追いつめたというのは、信繁のやはり強さだったようです。

歴史うんちくといいますか、「なぜそうだったのか?」と謎解きをしながら、本やドラマにふれると、あるいは史跡などを訪問すると、実に楽しいものになります。暗記ものとして歴史嫌いの方も多いかもしれませんが、なぜ?と問う暇と基礎知識がないと、なかなか面白いところまでいけません。

また、歴史にIFは禁物とは言われますが、「もしこうなっていたら、どう変わっただろうか?」と考えるのも、おもしろいし、よいトレーニングになると思います。

本書は入門書ではありませんが、漫画や新書で親しみやすいものも増えています。(漫画はフィクションなものも多いですが、歴史うんちくが優れている作品もあります。僕が好きなのは『センゴク』です。)

「事実は小説よりも奇なり」というところを楽しんだり、むすめのことをすごく心配するなど、案外、むかしのヒーローも今の人とそう変わらないところもあるな、と共感できたりするのも、いい時間だと思いませんか?

 

※ちょっと宣伝で、読書会をこんど東京でやります。

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妹尾 昌俊(せのお まさとし)

学校マネジメントコンサルタント、Books for Teachersの世話役、4人の子育てに修行中。野村総合研究所を経て、フリーに。教職員向け講演・研修などを行っている。

著書『変わる学校、変わらない学校-学校マネジメントの成功と失敗の分かれ道』では、活性化している学校とそうではない学校との違いを分析、今後の学校づくりの方向性を提言。

文科省の有識者会議やフォーラム、教員研修センターのマネジメント研修などでも講師を務める。

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