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学校教育をよりよくしたいと思う方、そして現場でがんばる先生たちにおススメの本を紹介します。

公教育の無償性を実現する

公教育の無償性を実現する(紹介:栁澤靖明)

公教育の無償性を実現する―教育財政法の再構築 (新福祉国家構想)

公教育の無償性を実現する―教育財政法の再構築 (新福祉国家構想)

 

タイトルは「公教育の無償性を実現する」。

しかし、「もう公教育は無償じゃないか、授業料とってないし」という“実現済”という主張もあるだろう。逆に「いや、保護者が学校に払うお金があるじゃないか」という“未実現”という主張もある。

 本書の主張は、もちろん後者。

『公教育の無償性を実現する』とのタイトルをもつ本書の最も基底的な主張は、政府は子どもの人間としての成長発達に必要な現物給付を行ない、かつ、現物給付をすべて公費でまかない、それを無償とすべきだ、ということになる。〈P.23〉

 495ページ、11人の研究者が11章+終章という構成で、公教育の無償性を実現するための課題にもとづいた方策、歴史的経緯や現状の課題整理、必要な財源などが書かれている超大作だ。

 

公教育の”無償”とは

かんたんに「無償性」に関する法令を整理しておく。

日本国憲法の第26条2項後段には「義務教育は、これは無償とする」と書かれている。しかし、保護者の立場からすれば実際に無償なのは授業料だけだ。しかも無償の範囲をめぐる解釈は、最高裁の判例(最大判昭39.2.26)によって「授業料だけ」と確定している。

そして、教育基本法では「義務教育については、授業料を徴収しない」(第5条4項)、また学校教育法でも「学校においては、授業料を徴収することができる。ただし、(…)義務教育については、これを徴収することができない」(第6条後段)と具体的に定められている。

この流れから、日本政府の主張(特に義務教育段階)は“実現済”に向いている。公立高校の授業料無償化への展開はあったが、ほぼ沈静化状態。幼児教育の無償化は話題にあがるが、公立小中学校の完全無償化はなかなかホットな話題とはならない。

 

 歴史的経緯と今の問題から、公教育の無償性をとらえなおす

しかし、最近「子どもの貧困」が社会問題化している。いま、子どもの6人に1人が貧困状態の家庭で生活をしている(可処分所得で112万円未満)。生活保護に対するバッシング、就学援助に対するスティグマ、学校給食費や教材費の未納問題は親の規範意識とすりかえ、家庭の年収と学力が比例し、教育格差が広がりをみせ、貧困の深さも指摘されている現代社会。

なにせ11章+終章もあるため、各章を詳細に紹介することはできないが、どこを省くわけにもいかない重要なポイントが研究されている。そのため、目次を引用しながらコメントを加えていこう。

 

第1章 教育条件整備基準立法なき教育財政移転法制――成立、展開、そして、縮小と再編

第2章 現代における教育条件整備基準解体の枠組みと手法―一九八〇年代半ばから現在

この2つの章を第Ⅰ部として「教育条件整備基準の確立」というタイトルがつけられている。ここでは、公教育の無償性が不十分にしか規定されていない教育法制度の問題と、1980年代以降の新自由主義改革との関係が書かれている。

1949年、文部省は「学校基準法案」(教育課程の編成や施設設備の基準など)と「学校財政法要綱案」(教育の機会均等と教育費に対する国民負担の均衡、公立学校に要する経費の基準など)を起草した 。

学校財政法要綱案には設置者が負担する経費として、「学校の維持管理に要する経費」や「児童・生徒の教科書、学用品その他学修に要する(…)経費」、「学校の施設に要する経費」とされている。しかし、両案は1948年以降、GHQの対日占領政策の変更を受けて開始される財政制度改革と法案のもつ中央集権的な性格が両立しないため、受け入れられるものではなかったためだと言われている 。

まず、ここで「公教育無償性の実現」の波が遠退いた。

そして1961年に現行法である「就学困難な児童及び生徒に係る就学奨励についての国の援助に関する法律」が成立し、貧困層の子どもに対する公的援助がおこなれ、「公教育の機会均等的無償性の実現」へと方向が完全に変わったのだ。

本書では以下のように指摘している。

文部省が意識していたかどうかにかかわらず、教育扶助制度・就学援助制度によって貧困層の子どもの学修費が公費負担とされたことの“反対解釈”として、子どもの学修費は、その保護者が私費負担するという原則が確立することになったのである。〈P.70〉

※学修費とは「子どもが学校に通学し、学校の教育課程のもと学習活動を行なうための費用〈P.24〉

この反対解釈が通説となり、「公教育無償性の実現」の波はさらに遠退いてしまった。

 

第3章 学校設置基準と学校統廃合の教育財政学的検討

第4章 学級定員基準とその仕組み

第5章 教員給与の法的仕組みと問題

第6章 教材整備に関する基準の展開と問題点

 この4つの章で第Ⅱ部を構成し、タイトルは「教育条件整備基準の内容と問題」となっている。ここでは、教育条件整備として各論的基準(学校設置・学級編成・教員給与・教材整備)の歴史的背景から現在の課題整理と展望が書かれている。

 

公教育の無償性を実現するためには

第7章 子どもの貧困と学校教育

第8章 教育における公費・私費概念――その日本的特質

第9章 学修費における私費負担の現状

第10章 私費負担軽減運動の歴史と到達点――教育財政の民主主義的・教育専門的統制

第11章 公教育の無償性と憲法

 最後の5章で第Ⅲ部を「公教育の無償性」としてまとめられている。ここでは、公教育における私費負担の問題とその拡大による子どもへの影響、その解決(無償性の実現)に必要な運動論と法制度への提言が書かれている。

 

 終章 公教育の無償性を実現する新しい法制の骨格

 ここでは最終章として、いままで検討してきた材料をつかい「教育法制度の骨格と財源の試算」がおこなわれている。公教育の無償性を実現するために必要な財源の部分を紹介してみよう。なかなか骨の折れる作業であったろうが、価値の高い試算がなされている。

まず、公立小中高等学校における学級人数は30人以下と設定。その理由を本書では以下のように説明している。

学級は「教師が、学級内に受容的・呼応的関わりとその延長線上にある認知葛藤的かかわりを形成しうる(最大の)単位」と定義づけられ、学級編成の基準はどんなに多くとも三〇人が限度とされているのである。〈P.17〉──引用部分は、笠井愁『学級と学級力に関する研究』(2010年度新潟大学教育学研究科修士論文)2頁

 

各種学校教育をすべて【30人以下の学級】で受けるための【授業料】と【学修費】を完全に無償化、全額公費で負担し、公教育の無償性を実現するために必要な増額が必要な金額は約3兆3,700億円と試算している。

しかし、2016年度の文部科学省予算は約5兆3,000億円であり、約6割増額させなくてはならない計算となる。これだけだと“無謀な試算”ではないか? とも思われるが、本書では日本の教育にかかわる公財政支出のGDPに占める割合を変化させることで、実現の可能性を検証している。

その部分を引用するが、きっと、手の届かない無謀な提言ではないことが理解できるはずだ。もちろんお金の使い方を考え直さなければならないことには変わりないが、11の章で指摘された内容を総合的に考えれば、公教育の無償性は実行されるべき施策だ。

日本の二〇〇八年度における、初等中等教育への公費支出の対GDP比は二・五%、私費支出のそれは〇・三%であった。当該年度の日本の名目GDPは約四九〇兆円であったので、初等中等教育への公費支出の実額は、約十二兆三〇〇〇億円ということになる。

公費支出の実額は三割弱増加し、その対GDP比は〇・七%上昇し、三・二%となる。だが、OECD加盟平均の三・五%には及ばない。

たとえ、文部科学省の予算を約6割増額させたとしてもOECDに加盟している先進国と呼ばれる国々の平均支出割合にも達していないという指摘はコペルニクス的転回を読者に与える終章だと考える。そして、495ページのラストを飾ることばも圧巻である。

「無償性を実現する公教育」。それは手を伸ばせば、すぐ届くところにある。このわずかばかりのことを確認して、本書の終わりとしたい。〈P.494〉

「わずかばかりのこと」を実現させるためにも、現場からのボトムアップが重要となるだろう。本書はそのための“道しるべ”となる。

 

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栁澤 靖明(やなぎさわ やすあき)

川口市立小谷場中学校事務主任。著書『本当の学校事務の話をしよう: ひろがる職分とこれからの公教育』では、事務職員という立場から学校の現状やこれからの公教育の在り方を提言。

「事務職員の仕事を事務室の外に開く」をモットーに、事務室だより『でんしょ鳩』などで、教職員・保護者・子ども・地域へ情報を発信。就学援助制度の周知にも力を入れて取り組んでいる。
さらなる専門性の向上をめざし、大学の通信教育課程で法学を勉強中。ライフワークとして、「教育の機会均等と教育費の無償性」「子どもの権利」を研究。
共著に『保護者負担金がよくわかる本』(保護者負担金研究会=編著、学事出版)、『つくろう! 事務だより』(事務だより研究会=編著、同)などがある。